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教育格差のある社会

2017.8.30

みなさんこんにちは!
LFA通信では前回より「教育格差」をテーマに取り上げています。

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前回のLFA通信は、どれほどの教育格差がこの日本にあるのかをお伝えし、教育格差の背景に何があるのかを考えました。
そこで、社会的要因によって教育格差が引き起こされていること、教育格差は今まさにおきているだけでなく世代を超えて連鎖していくことがわかりました。

今回は、こうした教育格差がなぜこんなにも問題となるのかを考えます。
なぜ、私たちは教育に起きる違いを話すときに”差異”ではなく”格差”というのでしょうか。
それは、今起きている教育の違いは”差異”や”特徴”、”特性”などという言葉では片づけられない、見過ごすことのできない問題だからです。

ここまで読んで、前回のLFA通信で取り上げたような、社会的要因によって教育格差が引き起こされていることそれ自体十分問題だと思われる方もいるでしょう。
一方で、そうなっちゃうのも仕方ないんじゃないの?と思うかたもいるかもしれません。

そこで、まずは前回お伝えした「社会的要因によって教育格差が引き起こされている」ということが抱える問題をもう少し詳しく見ていきましょう。

 

■「自分の力」で未来を切り開く社会

「社会的要因によって教育格差が引き起こされている」ということを考える前に、一度教育から離れ、社会の在り方について考えていきます。

近代以前はどのような環境に生まれたかが人々の一生を決めていました。
例えば、日本の江戸時代を考えると、身分がはっきりと決まっていました。
武士の子は武士、農民の子は農民。基本的にはどのような身分(≒環境)に生まれたかによってその人の一生は決められていました。
近代以前(7回)
(耳塚寛明(2014)『教育格差の社会学』p.4を参考に筆者作成)

しかし、そのような状況が一変したのが近代以降です。
どのような環境に生まれたかは関係なく、自らの希望とそのための努力で将来を切り開いていける考え方が出てくるようになったのです。

人々が将来を切り開く鍵となる努力をし、“力”を手に入れる代表的な場所が学校です。
学校では能力を手に入れるだけではありません。
子どもたちは普段のテストや進学といった機会を通じて”評価”され、”選抜”されます。
どのような社会的地位に就くのか、どれくらいの報酬がもらえるのかがだんだんと決まってきます。
こうして、学校で人々は将来を切り開く”力”を手に入れ、それをもとにして人々は社会的な地位や報酬を獲得します。
人々は”どのような環境に生まれたか”から解放され、生まれに左右されることなく自らの努力によって希望する人生を歩むことができるようになりました

こうした社会の在り方を支える考え方を、例えば業績主義社会(メリトクラシー)などと言います。

近代以後(7回)

(同上)

……一見、素晴らしいことのように思えますね。自分が努力さえすれば、希望する道を歩むことができる。
しかし、この構図は本当に成り立っているのでしょうか。

 

■努力すれば必ず報われる…?

ここで、前回のLFA通信のことを思い出していただきたいです。
小学生のテストの点数、中高生の進路状況などから、日本には教育格差があることを見ました。
そしてその裏にはどんな環境に生まれたか、ということが大きく影響していることを、特に経済的状況に注目してお伝えしました。

例えば、下のグラフのように家庭環境が学力に大きな影響を与えています。
家庭の社会、経済的背景と学力の関係

(出典:お茶の水女子大学「文部科学省委託研究 平成25年度全国学力・学習状況調査(きめ細かい調査)の結果を活用した学力に影響を与える要因分析に関する調査研究」https://www.nier.go.jp/13chousakekkahoukoku/kannren_chousa/pdf/hogosha_summary.pdf)

(小学6年生・国語(基礎)での調査結果。勉強時間は平日1日あたりの学校の授業以外での学習時間)

 

このグラフは家庭環境と学力の関係を表しています。
グラフの横軸の項目は”SES”と言って、家庭の所得・父親の学歴・母親の学歴を基に家庭の社会経済的地位を点数化したものです。
グラフでは左から右にかけて順にその点数が高くなります。言葉を選ばなければ、右に行くほど親の学歴や所得がいいと考えられます。
グラフを見ると、右に行くほど点数が高くなっていることがわかります。
つまり、どんな家庭環境に置かれたかによって学力が異なってきます

さらに、時間と得点の関係に注目してください。
Lowest SES の子どもが家庭で3時間以上勉強した時の得点(58.9)よりも Higher SES で全く勉強しない子どもの得点(60.5)の方が高くなっています。

頑張って勉強すればいい点数がとれるわけではなく、子ども自身の努力を示す”勉強時間”よりもSES、つまり”家庭の背景”の方が大きい影響力を持つことがわかります。

このように、実際には自分の力ではコントロールできない、周りの環境であるとか社会的要因によってどのような教育を受けられるか、どんな結果が得られるのか変わります。

人生のスタートラインが人によって違い、そのスタートラインの違いが教育やその先の人生を左右しています

「自らの希望とそのための努力で将来を切り開いていける」はずの前提はどこにいってしまったのでしょうか。
教育格差とその背景を見ると、近代以降の業績主義社会を支える公正さ・正義が崩れていることがわかります。

 

また、先ほどお話ししたように、学校には子どもたちを選抜し、評価する機能があります。
それは、子ども自身の希望とそのための努力で得られた力をもとに評価や選抜をするはずでした。
しかし、実際には子どもたちが生まれ持った要素をもとに、得られる力が変わります。
そうなると、教育は生まれ持った要素で子どもたちを評価し、選抜していきます。
学校のこうしたシステムを通して、生まれた環境が子どもたちの人生を決める状況がいつの間にか強化されています。

この社会は、「自らの希望とそのための努力で将来を切り開いていける」という前提がさも機能しているかのようにふるまって動いています。

 

■”違い”が”格差”になる要素

ここまで、教育格差を通して社会の前提が崩れていることをお伝えしてきました。
単なる”違い”や”差異”という言葉では片づけられない、深刻な問題がこの社会にあります。

後半では格差という、問題を表す言葉から、教育格差をどうやって解決していくか考えていきます。

教育社会学者の耳塚寛明氏は『教育格差の社会学』で”差異”が”格差”になる要素を3つあげています。
①優劣の価値を伴うまなざし
 学力が高い方が望ましい、など優れている・劣っているという序列が前提にある
②告発性
 その差異が問題視される
③行動要求
 格差を是正したり縮小、緩和する行動が求められる

”教育格差”がなぜ問題か、ということについて私たちがここまで考えてきたことは3つの要素のうち②告発性③行動要求にあたるのではないでしょうか。
教育の差が生み出される過程に努力の及ばない要因が関わっていること、それはこの社会の前提とする仕組みから外れており、見過ごすことのできない問題だということを前半で考えました。
私たちは、教育の差が個人の責任でなく社会的に生み出されているということを問題視するよう「告発」し、それを解決していこうと「行動」を「要求」してきました。

ここからは①の優劣の価値を伴うまなざしについて考えていきます。

 

■モノサシで教育を測る社会

教育”格差”というからには、私たちは教育に対して”優劣の価値を伴うまなざし”を持っています。
この教育が他よりも優れている(だから良い)、こんな学力では劣っている(だからダメだ)という一定の基準が私たちの中にあります。

しかし、高い”学力”をもっていると幸せなのでしょうか。
そもそも、”学力”とはどのようなものなのでしょうか。
人々の間に”違い”はありますが、その違いの間に”優劣”はあるのでしょうか。

第5回のLFA通信でもお話ししたように、すべての人が幸せに生きる権利を持ち、そのために学びます。
私たちが教育に対して向けているまなざし・価値観を問い直していくとき、同時に人々がどう生きるか、という観点から、今の社会の形でいいのかと常に問い続ける必要があるのではないでしょうか。
単純に格差だ、劣っているから優れた状況にしてあげよう、というだけではなく、自分たちが持つ価値観が本当に理想的か、一度立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか。

 

■社会の形を問い直す

では、教育格差が解消すると幸せになれるのでしょうか。

自分が努力さえすれば、希望する道を歩むことができる。

やはり理想的に思えますよね。

しかし、これに対して教育社会学者の耳塚寛明氏は、必ずしもそうとは限らないと言います。
私たちがここまで教育格差について考えてきたとき、前提にあったのは”業績主義社会”でした。
確かに、自分の努力で希望する道を歩むことができる。とてもわかりやすく、また可能性にあふれています。
しかし、結果として地位や名誉、権力や富は人々の間で不平等に配分されます。
業績主義の考えのもとの公平な競争の結果、不平等が生じることになります。
業績主義の社会において、この”不平等”は何があっても”正当”です。
耳塚氏はこうした社会の形を「業績主義的不平等社会」とし、それが本当に理想的な社会かどうかはまだ誰にもわからないとしています。(『教育格差の社会学』)

現状に合わせた行動だけでは、結局、教育”格差”の裏にある価値観は変わらないままです。
どのような教育、そして人が優れているのか劣っているのかという順位付けがされ、それが正当化される。教育や人はずっと順位付けされたままです。

今の社会の形にあわせた行動では”救済的”措置でしかありません。
救済的措置は一時的には苦しみを取り除いてくれるかもしれません。
でも、苦しみを生み出す根本=社会はそのままです。
なぜなら、救済的な措置は今ある社会を当然のものとしていて、その社会に合わせた助けでしかないからです。
私たちが教育に対して向けているまなざし・価値観やその背景にある社会について問い直していかなければ根本的解決にはなりません。

 

■教育格差がある社会

今回は、なぜ教育格差が問題となるのか、ということについて考えました。
前半では、教育格差は社会によって生み出されていることを再確認し、教育格差があるこの社会では社会の前提そのものが破綻していることを考えました。

後半では、教育”格差”という言葉を使うことで、私たちの中に優劣の価値を伴う眼差しが持ち込まれていることについて考えました。

前半のお話のように、教育”格差”についてそれを問題視し、行動を起こすことはとても大事なことです。今まさに起きている問題に対する具体的な行動を起こさない限り状況は変わりません。
それと同時に、根本的に問題を考えるためには私たちが前提として抱えている価値観を問い直すことも必要ではないのでしょうか。
社会や人々が持っている価値観それ自体を考え直さなければ行動は常に対症療法的になってしまいます。
どういう社会の形が望ましいのか、人々がどう生きていくのか。
私たちは現実の問題に対処する働きをするとともに、現実社会のありようを疑問視し、変えていかなければなりません。

クロスする絵

さて、全2回のテーマ「教育格差」は今回で終わりです。
次回は教育がどのような考えで保障されているのかを考えていきます。
少し固い話のようですが、教育がどのような根拠のもとで保障されているのか、公教育について考える上で重要なテーマについてみなさんと一緒に考えていきたいと思います。
(次の記事はコチラ!)


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