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【日本の不登校vol.1】少年革命家が社会に問いかけたこと

2019.5.27

【日本の不登校 vol.1】〜少年革命家が社会に問いかけたこと〜

みなさん、こんにちは。Learning for All 職員の福田です。

突然ですが皆さんはYouTubeを見ますでしょうか。最近では子どもたちの将来なりたい職業ランキング上位にYoutuberがランクインするほど、社会に根付いた文化となりました。

今回は、そのYoutuberについてのお話です。最近話題になっているYouTuber「ゆたぼん」さんの投稿をきっかけとしてみなさんと不登校について考えて行きたいと思います。
彼は「自分は不登校を選びましたが、不当ではなくむしろ楽しかった。逆に、学校に行きたくないのに行かされている子の方が不幸だと思う。不登校でも頑張れば出来るということを、不登校で悩んでいる子たちに見せたい。(要約)」と述べています。(動画はこちらからご覧ください。)

非常に多くの注目を集め、ニュースでも取り上げられ賛否両論があるようです。ざっくりと目を通すと、批判の方が多いように感じます。
今回のブログでは、不登校という現象がどう捉えられてきたか、そして彼の行動・言動をどう見つめるべきか、考えてみたいと思います。彼は不登校という選択とYoutubeでの発信を通して、私たちに何を問いかけたのでしょうか。

登校することはどこまで「当たり前」か

少なからず不登校を「悪いこと」、そうでなくとも「望ましく無いもの」と考えている人は非常に多いですが、そこには「毎日登校すること=良いこと」という前提が横たわっています。それはどこまで「当たり前」のことなのでしょうか。

まず法律的な議論をすれば、「子どもが学校に行くこと」を義務付けた法律は実はありません。子どもには学校に通う「権利」があるだけで、よく知られた「教育の義務」というのは、大人が子どもに学校に行く機会を準備する義務です。

そしてその義務も限定的なものです。子どもが学校に行くための条件を揃える義務はあっても、不登校を選択した子どもを学校に行かせる義務はないのです。実際に、文部科学省は「就学義務履行の催促について」において、保護者が子どもを登校させない理由として子どもの「不登校」を正当なものと明示しています。

(出所) 文部科学省 「就学義務履行の催促について」より引用

こうしたことから、登校やそれを促すことは義務ではないことがわかります。ゆたぼんはもちろん、彼の保護者も義務を怠っていることにはなりません。

では、登校するという選択はなぜこうも「当たり前」に感じるのでしょうか。

戦後間もなくは、登校することは今ほど当たり前ではなかったと推測されます。学校に通っていない児童生徒の数は現在の2倍近くでした。この背景には、戦後の混乱や経済状況があります。子どもに家業を手伝いさせたり、継がせたりするためにあえて学校に通わせないという選択をする家庭も多くあったためです。実際、戦後の1958年までは、調査時の長期欠席理由の分類に「家庭によるもの」という内訳がありました。

(出所) 文部科学省「学校基本調査」より作成

しかし、高度経済成長期に欠席児童生徒の数は急減します。これは経済的な構造転換や都市部への人口流出などが背景にあると考えられています。実際、70年代後半から 80年代初頭にかけて、児童生徒の欠席率は最低になります。後述しますが、この段階で学校に行くことは「当たり前」の事になり、不登校が「個人や家庭の未熟さからくるもの」と逸脱行為の1つとして考えられるようになります

不登校への理解

では、不登校という選択に対する社会の理解はどのようなものでしょうか。

先ほど述べたように、高度経済成長によって子どものほとんどが学校に行くようになった結果、初めて「学校に行かない子ども」が浮き彫りになりました。しかしその中には、病因が特定できないが心身に不調を伴う者がいることが精神科医らによって指摘されました。登校拒否が社会問題となった当初は、こうした背景から「子どもの欠席は自我形成の未熟さゆえの適応不全である」とみなされていました。

しかし同時に、1980年代からそうした考え方への反発が生じるようになります。それと同時に、フリースクールや学習塾、適応指導教室など学校に代わる学びの場が広がり始めます。

各種教育施設の新規設置数

 

適応指導教室

フリースクール

フリースペース

補習塾

進学塾系

親の会

その他

1969年以前

2

1

0

1

0

1

7

1970-74年

2

1

1

5

0

0

4

1975-79年

0

2

0

5

2

0

6

1980-84年

3

1

1

5

1

2

3

1985-89年

24

7

9

4

9

10

16

1990-94年

214

14

12

2

6

14

18

1995-99年

275

24

24

5

11

1

23

(出所) オルタナティブ教育研究会「オルタナティブな学び舎の教育に関する実態調査報告書」より引用

そもそも、「不登校」という言葉がとある配慮の上に生まれた言葉と言えます。というのも、「不登校」以前に使われていた「登校拒否」という言葉には登校しない生徒・児童の責任を問うようなニュアンスがあると指摘されたために、「不登校」という言葉が使われるようになったからです。これは生徒や家庭の責任を強調する考え方への反省によるものであったわけです。

実際に、文部科学省でも不登校児童・生徒への指導のあり方について、現在の小学校学習指導要領解説に以下のような説明があります。
「その行為を『問題行動』と判断してはならない。加えて,不登校児童が悪いという根強い偏見を払拭し,学校・家庭・社会が不登校児童に寄り添い共感的理解と受容の姿勢をもつこと が,児童の自己肯定感を高めるためにも重要である。」


(出所) 文部科学省「【総則編】小学校学習指導要領(平成29年告示)解説」より引用

この記述で注目すべきは、「登校という結果のみを目標にするのではなく、児童や保護者の意思を十分に尊重しつつ、児童が自らの進路を主体的に捉えて、社会的に自立することを目指す必要がある。」という記述です。
私たちは「不登校の解決=登校できるようになること」と捉えがちですが、登校することをゴールにするのではなく、「社会的な自立」を目指すと記述があります。

少なくとも教育行政上は不登校を逸脱行為とみなす考えは改められていると考えられます。しかし、不登校によって制度的な不利益を被ることが多いことは否定できません。入試制度が典型です。
例えば、東京都立高校入試では、1000点満点中300点が内申点、すなわち学校での成績によって決まります。不登校生徒の場合、この成績の部分が低かったり、場合によっては内申点がつかないことさえあり得ます。そして実際の高校進学率を見ると、平成30年度の中学生の高校進学率が98.8%であるのに対し、不登校生徒の高校進学率は82.7%になります。

(出所) 東京都教育委員会「平成31年度東京立高等学校に入学を希望する皆さんへ」より引用

社会的なまなざしが少しずつ改善されても、制度的な支援が十分とは言えない状況です。

学校の役割と仕組み

では、そもそも学校の本来の役割とはどのようなものでしょうか。

文部科学省によれば、「高等学校段階までの初等中等教育は、人間として、また、家族の一員、社会の一員として、更には国民として共通に身に付けるべき基礎・基本を習得した上で、生徒が各自の興味・関心、能力・適性、進路等に応じて選択した分野の基礎的能力を習得し、その後の学習や職業・社会生活の基盤を形成することを役割としている。」とあります。


(出所) 文部科学省「初等中等教育の役割」より引用

ゆたぼんに対して多くの人が指摘するのは「学校に行かないと社会性が身につかない」と言う意見です。これは先の引用では「人間として、また、家族の一員、社会の一員として、更には国民として共通に身に付けるべき基礎・基本」にあたる部分に思われます。

しかし、この批判は少なくとも彼については当てはまらないのではないでしょうか。
彼は、将来ラジオのパーソナリティになって不登校の子どもたちに希望を与えたいと言っており、そのために合理的な行動をとっています。Youtubeでの発信もそうですし、親子での講演会やラジオ出演もしているわけです。
友達と約束を守ることも、大人と一緒に仕事をすることもでき、現にそれを認める大人がいます。それは十分に社会性と言えるものだとも考えられるのではないでしょうか。

また、学校の仕組みについても考えるべきことがあります。ゆたぼんのこちらの動画で、以下のような発言があります。
「なんで不登校になったかというと、周りの子たちがロボットに見えたからです。なんでロボットに見えたかというと、親の言うことと先生の言うことをハイハイ黙って聞いてたからです。」

奇しくも、ゆたぼんが指摘したことはまさに有名な社会学者のM.フーコーが学校教育について指摘した「規律・訓練」という考え方に一致します。
教育社会学者の長谷川裕氏によれば、「規律・訓練」とは「一定の場に人々が多数集まっている状況をターゲットとして、その状況から混乱が生じないように、逆に多数集まっていることがメリットになるように一定の秩序を打ち立て、その秩序の枠内へ彼らのふるまいを方向付ける、社会統制の技術の一タイプ」です。
単純化すればそれは同調圧力です。30人の学級で自分以外の29人が先生の言うことを聞いている状況と自分以外の誰も先生の言うことを聞いていない状況では、前者の方が「自分も言うことを聞かなければ」という気持ちになります。このような秩序の作り方が近代的な学校には存在しています。

もちろん、多くの学校がこうした仕組みの上に成り立っているからといって直ちに学校のあり方を非難されるべきではありません。一度にたくさんの子どもを見て、適切な指導を行うための基盤にそうした規律が生まれるのもまた自然なことです。
先ほどの長谷川氏は、「教える者に比して教えられる者の人数が圧倒的に多いと言う特徴も伴うゆえ、教師―生徒間の管理=経営の仕組みの構築が、近代学校が作り上げられていく最初の段階から切実な課題だった」と指摘しています。

現在の学校制度も、そうなるべくしてそうなった背景があり、それが功を奏した部分は大きいはずです。何より当事者を二分してどちらか一方に悪者役を押し付けるのは不毛な議論でしょう。

それが意図されているか・推奨されているかは別として、構造的にそうなっていることは事実でしょう。そしてその中で育った大人が大半です。私たちが彼に拒否反応を示してしまうの背景には、「先生の言うことは聞くものだ」「学校は行くものだ」と言う共同幻想が崩れてしまうことで秩序が失われることへの恐怖も少なからずあるのではないでしょうか。

本当に「不登校は不幸ではない」というために

ただ、もう1つ重要な点を指摘しなければなりません。残念ながら一般論としては「不登校になっても大丈夫」ということもまた無責任と言わざるをえません。多くの不登校児童生徒が理不尽に(学校に行きたいにも関わらず)不登校になっている上に、学校以外の学びの場の整備が日本ではまだ不十分な状況であり、学校に行っていないことを理由に受験などで不利に扱われることが多いからです。

また、不登校をきっかけに家族仲が悪化して生きづらくなったり、周囲の人との関係性を気にして進路選択をしなくてはいけなくなったりと、不登校に対する眼差しが不登校を辛くさせているのも否定できません。その点でやはり、今の日本では「行けるのなら学校に行った方が良い」というのは間違っていないとも言えます。

とはいえ、そのこと自体の是非は別の問題として考えなければなりません。困難を抱えるすべての子どもが、仮に学校に通わなくても自立し社会に参画できる制度の設計が望まれているのではないでしょうか。

私たちがするべきことは、全国に設置され今もなお教育の中心的な役割を担う学校のあり方を今の時代に合わせて再考すること、それと同時に学校以外の代替的な機関を拡充すること、そして何より、不登校への理解を深めて批判的な眼差しをあらためることです。
少なくとも、彼の不登校が従来のイメージと異なる不登校であるのをいいことに形を変えた自己責任論に走ること、学校信仰を強化することで学校に通いづらい子どもたちに辛い思いさせ続けることでは、決してないはずです。

来週も不登校をテーマに、様々なデータを扱いながら多様な教育のあり方が日本でどれだけ整備されつつあるかをみていきたいと思います。この記事が少しでも不登校について考え直すきっかけになれば幸いです。

※現在、日本財団がtwitter上で「#学校ムリかも」キャンペーンというキャンペーンを行っています。学校へ行くことのしんどさを共有するキャンペーンです。twitterをされている人はのぞいてみてはいかがでしょうか。
また、5月30日には不登校についての番組『NHKスペシャル「学校へ行きたくない〜中学生43万人の心の声〜」』が放送される予定です。こちらも機会があればご確認してみてはいかがでしょうか。

参考文献
ー教育科学研究会 編「学力と学校を問い直す」かもがわ出版ー若槻健、西田芳正 編「教育社会学への招待」大阪大学出版会
ーオルタナティブ教育研究会「オルタナティブな学び舎の教育に関する実態調査報告書」
ーM.フーコー 「監獄の誕生」
ー文部科学省「学校基本調査」(昭和35年度~平成2年度)
文部科学省 学校不適応対策調査研究協力者会議
文部科学省 【総則編】小学校学習指導要領(平成29年告示)解説
文部科学省 「初等中等教育の役割」
東京都教育委員会「平成31年度東京立高等学校に入学を希望する皆さんへ」

 

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