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学校と子どもの貧困

生徒を見送る学生教師

こんにちは!
LFA通信です。

今回のLFA通信は”学習支援”から少し離れて、学校について取りあげます。

前回もお伝えしたように、子どもの貧困対策において、教育が重要視されています。
その中でも学校は子どもの貧困対策のプラットフォームとされています。   

学校は、義務教育としてすべての人が通う場所です。
また、授業をはじめとする学校生活は子どもの時間の大半を占めているため、学校は子どもにとっても重要な場所になります。
加えて、集金や様々な申請など、学校事務の面から子どもの情報が多く集まる場所です。
これらのことから、学校は教育保障を中心としながら、子どもたちの生活を支え、さらには様々な支援につなげる窓口のような役目を担っています。
さらに、学校が日ごろから関わる人は、学校に通っている子どもたちだけでなく、不登校の子どもや中退者、保護者など学校の在る地域に住む人々全体です。そして、学校はこうした人々も様々な支援につなげています。

学校は全ての人に関わる場所です。
だからこそ、学校が中心となって、子どもの貧困対策にあたることが期待されているのです。
同時に、全ての人に関わり様々な課題に直面するからこそ、学校は単独で対策するのではなく、福祉関係の機関などと連携しながら総合的かつ効果的な支援にあたることが望まれています。

このような理由から学校は子どもの貧困対策のプラットフォームとされているのです。

しかし、重要な役割だからこそ、難しい役割でもあります。
学校を子どもの貧困対策のプラットフォームとした場合、どんな課題があるのでしょうか。
まずは学校という場所・機関の性格と学校が直面する課題から考えていきましょう。

■学校が抱える矛盾

さて、学校とはどのような場所なのでしょうか。
大きく見れば勉強する場所、社会性を育む場所などと言えるでしょうし、子どもたちの様子に目を配れば友達と遊ぶ場所、部活をする場所などとも言えるでしょう。

ここでは、学校が持つ社会的な機能・役割から考えてみましょう。

学校の前提は人々が将来を切り開く鍵となる努力をし、“力”を手に入れる代表的な場所です。
人々は学校に通う中で”どのような環境に生まれたか”から解放され、生まれに左右されることなく自らの努力によって希望する人生を歩むことができるようになる、と考えられていました。

そんな学校には子どもたちを選抜し、評価する機能があります。
本来学校では、子ども自身の希望とそのための努力で得られた力をもとに評価や選抜をするはずでした。
しかし、実際には子どもたちが生まれたときにおかれている環境によって、学力などの得られる力が変わります。
そうなると、教育は努力の結果ではなく、子どもたちの生まれたときの条件で子どもたちを評価し、選抜していくことになります。
学校のこうしたシステムは、生まれた環境が子どもたちの人生を決める状況をいつの間にか強化してしまう側面があります
(詳しくは第7回をご覧ください!)

学校によって固定化される階層

■見えない”子ども”たち

こうした性格に加え、日本の学校に特徴的な性格が二つあります。

まず、教育学者の志水宏吉氏によれば、日本の学校は「同質化の機関」として発展してきたと言います。
日本の学校は勤勉で、社会に出てから全員ががんばることのできる”社会集団”を形成する役割を担ってきたのです。
(志水宏吉(2010)『学校にできることー一人称の教育社会学』)
こうした傾向は、高度経済成長期の”一億総中流社会”という言葉にも表れていると言えるでしょう。

また、教育社会学者の苅谷剛彦氏は「面の平等」を推し進めてきたといいます。
「面の平等」とは、学級や地域といった集団を単位として資源(お金、先生、建物、教材など…)を平等に分配することで、教育条件を標準化し、形の上で全国的に平等にしてきたことを言います。
これは、日本が戦後抱えていた地域間格差を解消するためにとった方法で、苅谷氏はこれによって一定の教育の平等が実現されたと評価します。
一方で、このことが学校教育の画一化や子どもを集団として捉える傾向を招き、個人が抑圧され、集団から外れた個別の対応が避けられるようになりました。
(苅谷剛彦(2009)『教育と平等ー大衆教育社会はいかに生成したか』)

この二つの性格を持つ学校の中で、子どもたちは集団の中のひとりになります。
そうすると学校の持つ構造上、集団の基準やルールに合わない子どもたちは”排除”されていくことがあります。
その排除の主な対象となるのは、様々な不利や困難を背負う子どもたちです。
学校という機関が持つ構造上の理由から、不利や困難を背負う子どもたちは、その抱えるものを学校では存在していないものとして扱われ、さらには必要なサポートを受けることができない恐れがあるのです。
(柏木智子・仲田康一(2017)『子どもの貧困・不利・困難を越える学校』)

ひざを抱えるこども(まりこさんのお子さん)

ここまで見てきたように、学校には生まれた環境を強化し、困難を抱える子どもたちをより一層厳しい状況に置くという一面があります。
学校を通して、子どもたちは生まれた環境をもとに人生が決められると同時に、学校にはそれぞれの子どもの厳しい状況が見えづらく、それぞれの子どもに合わせた教育が難しいという状況があります。

もちろん、こうした学校が持つ一面を乗り越えるために、先生方の頑張りをはじめ、本当に現場では様々な取り組みがなされています(例えば、先に挙げた志水氏の提唱する”力のある学校”論などが有名で、そうした理念を実現して子どもたちの困難を学校の取り組みでともに乗り越える学校もあります)。
しかし近年、こうした現場の取り組みも難しい状況にあります。

次からは学校が直面する課題から子どもの貧困への対応の難しさを考えていきましょう。

■まさに”忙殺される”

一番子どもに近く、集団の中で見えなくなる子どもたちに一人の人間として向き合うのは学校の先生たちです。
しかし、その先生たちが子どもたちに向き合うための時間さえ確保できないほど忙しいという問題があります。

まず、先生たちの業務時間です。
今年、文部科学省が発表した先生の勤務実態調査(速報値)によれば、中学校の先生は平均して平日11時間以上土曜日も3時間以上は働いています。
さらに、過労死ライン(残業が月80時間以上)に相当する週60時間以上勤務は全体の57.7%、約半数に相当します。
そのうち、この過労死ラインのさらに2倍に相当する、週80時間以上働いている人は8.5%存在します。
この時間だけ見ても非常にストレスがかかる状況におかれていることがわかります。

さらに、その時間がどのように使われているのかも見ていきましょう。
下の図をご覧ください。

中学校教員の業務時間内訳(平日)

このグラフは、中学校の先生の平日の業務がどのように使われているのか、という図です。
もちろん、生徒と関わる時間も多いのですが、「学校の運営に関わる業務」や「外部対応」など、それ以外のことにも多くの時間がとられています。
「学校の運営に関わる業務」とは校内での役割分担など直接学校に関わることもありますが、各種の調査への回答や経理のような仕事まで含まれます。
先生の業務が多岐にわたっていることがわかると思います。

さらに、生徒と関わる時間を詳しく見てみましょう。

生徒に関わる時間の内訳

(単位は”時間:分”)

個別の生徒指導の時間がなかなか取れていないことや、休日も部活動などに追われ、なかなか授業準備ができないこと、意外と成績処理に時間がとられていることがわかります。

様々な業務がある中で、本当にそれは先生がやるべき業務なのかと思うような業務もある、ということも大事な課題です。
同時に、業務量に見合うだけの時間が確保されていないことも大きな問題です。
近年、総合的な学習の導入や、ゆとり教育の反動による授業時間数の増加によって、授業準備の時間がより必要になっています。
しかし、そのための時間が確保されないまま、従来の業務をこなしながらそれに加えて業務量が増える形になっています。

『子どもと向き合うだけの時間がとれない』

様々なところでこうした先生の声が上がっています。
格差を強化し、子どもたちの抱える困難や不利をないものとする機能を持っている学校で、それを少しでも解消しようと最前線に立つ先生たち自身も困難に直面しています。

忙殺される先生

■何のために学校で教育をするのか

また、現在の学校はその役割をめぐっても困難に直面しています。

例えば、学力テストの成果が強く求められる、そんな風潮があります。
科学的・客観的な事実やデータに基づいて教育を考える、ということ自体、今までブラックボックスとしてあやふやなままにされてきた教育を考え直す上で大事なことかもしれません。
しかし、過剰に”学力”、しかも何かの学力テストにだけあらわれる結果を求められる中で、子どもたちや先生、学校が持つ個性やかけがえのなさが忘れ去られてしまうかもしれません。

また、学校自体が市場の競争にさらされていたり(例えば学校選択制など)、教育は受益者負担だ(だから、自己責任だ!)という考えがあったりします。
競争にさらされた学校では”有益”であることが重要で、何らかの”利益”をもたらすことが求められます。
そして、”有益”ではない、あるいは”利益”のない学校は市場で選択されず、生き残ることができません。
こうした中で学校は余裕をなくしていきます。

その結果、学校では目に見える結果や利益が優先され、一人一人の子どもに寄り添うという人と人との関係や、人との関係の中で育っていく過程が失われつつあります。

■傷口に絆創膏を貼る学習支援

ここまで見てきたように、子どもの貧困対策で、学校教育が重要視されています。
しかし、その性格や機能上、逆に格差を固定し、子どもたちが抱える困難や不利をより強める一面も持っています。

こうした面を乗り越えるために、それぞれの学校現場は試行錯誤を繰り返し、最大限の努力をしているのですが、それを難しくする課題がありました。
今学校では、体力と余裕が奪われつつあります。

学校の悩み教育保障の要となる学校ですが、その条件整備は進んでいないのが現状です。
教育費用の国家負担の少なさ、少子化を理由とした教員定数の削減など一層厳しい状況が待っています。

全ての人が通う学校という場をこのままにしていいのでしょうか。

翻って、学校外教育にあたる学習支援はどうでしょう。
前回見たように、学習支援を行う自治体は増え、この取り組みは全国的に広がりを見せています。
また、学習支援にかかる予算も増えています。
これは、今学習支援を利用している子どもも含めて、この事業を必要とする子どもたちにとって、とても喜ばしいことです。

しかし、全ての人が通う学校という場をおきざりにしていいのでしょうか?

教育学者の川口洋誉氏はこのように述べています。

「教育条件整備や教育内容の改善・向上が伴わなければ、学習支援関係者の善意に反して、学習支援はただ学校教育の「欠陥」を隠し、「始末」をつけ続けることになる」
(川口洋誉(2016)「制度上の課題と行政ー支援現場の共同」)

前回もお話ししたように、学習支援事業には確かに意義があります。
しかし一方で、現在の学習支援事業には、増加する貧困世帯の子どもたちに事後的に対応するという、対症療法的な側面があるのも事実です。
問題の根本にある社会構造、それを支える制度を見直し、考え直していく姿勢が必要です。

そのためには、私たちは全ての子どもに関わる公教育から目をそらしてはいけません。
生まれた環境に左右されない教育制度の在り方
どのように一人ひとりの子どもの育ちを保障するのか
公教育は重要であり、影響力があるからこそ、考えていかなければいけないことです。
そして、これからの学校ではそれぞれの子どもに目が向くだけの時間と余裕が必要ではないでしょうか。

生徒を見送る学生教師

さて、次回のLFA通信では学習支援に求められる役割を考えていきます。
今回のLFA通信では最後に少し学習支援の限界に触れました。
そうした限界もある学習支援ですが、そこに求められている役割、学習支援が実現したいこととは何か、もう一度学習支援のあり方について考えていきましょう!

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